2012年3月2日金曜日

Toril 日系人のお母さん

伊藤きくよさん82歳、戦争が終わったとき15歳だった。
ダバオの山の日本人学校でたくさんの日系人の友達と一緒だった。
お父さんは福島県出身で終戦後男の子6人を連れて日本に帰国したが
他の4人の子供とお母さんは現地に残った。このお母さんの子供たちが
日系人として日本政府に認められて日本に働きに行き、そして今は
またダバオの山で暮らしている。
左の男が息子のヴェルフェリオ、53歳、私はこの人の家に住むことになった。
農夫だったが日系人として認められてから日本で18年ぐらい働いて
金をためて今は自動車の修理工場を経営している。この人も私の昔の教え子になる。
おばあさんが住んでいる家です。標高が高いので涼しい、周りは
ここは蚊もいない、エアコンもいらない。喧噪もない。
エデン、バヤバスというところです。
私が居た学校の少し上です。
夕方ダバオから昔の生徒が2人来た。面影はあるけど年取っているなー。
もう一人の生徒の家に行ったらこんなヤシの木が見えた。
途中でこんなに曲がっているのが不思議でならない。
生徒の奥さん達と子供と写真撮影。
フィリピンは闘鶏が盛んで男たちは家でたくさんの闘鶏用の鶏を飼っている。
昔から男たちはギャンブルが大好きです。

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