最初にこの辺の村の役場の村長に連れて行かれました。 そしたらこの村長も昔学校で中学1年だったそうです。小さな子供でしたが 今でも小さいです。Pedoro Guirigay ペドロ ギリガイ。53歳でした。 |
役場の建物。相談事や書類製作など5人ぐらい待っていました。村長(部落長) はなかなか忙しそうだったので、隣接する小学校に行きました。 |
バヤバス小学校。昔の日本人学校とは場所が違いますがこの辺の日系人たちの 子供たちも学んだ学校です。昔ここに住んでいた日系人が日本に帰ってから 色々な寄付をしてくれたそうですが、皆、老齢で亡くなり、今は教材や寄付行為が 途絶えてしまったそうです。この校舎は比較的新しい。 |
校庭の隅にブランコが新しく出来ていました。父兄が寄付を募ってこしらえたそうです。 |
1960年ごろ建てられた校舎、古くて壊れそうでした。浅虫の小学校みたい。 |
校庭の真ん中に国旗掲揚台があります。 国旗掲揚の日は毎週月曜日で、金曜日には降ろします。今でもフィリピン国家の 最初の歌詞は覚えています。 |
泊まっているSITOYの家。1階に寝ているけど、日本に出稼ぎしている 子供の部屋なので、部屋中にピンナップガールの写真がいっぱいです。 後日見せましょう。この家は日本円で1千万円で作ったそうです。 |
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