2013年3月4日月曜日

川の様子、友達の織物展示販売会

雪が降っていないので町会の回覧板用の用紙を持って何軒かまわりました。
その後でホタル湖の傍を通って山手の道路を歩いて帰ってきました。
保育園の、椿館の傍を川が流れていますが、その川は雪で埋まっていました。
雪捨て場が無いため皆、川に投げ入れているようです。
川にいる鯉はどうしているだろう?
早く雪解けが進んで欲しいですね。

午後から青森に行き、メガネの調整とレンズの交換相談してきました。
デパートの向かいのギャラリーで友達の展示販売会が行われていました。
保育園から一緒の、幼馴染です。

いつも見慣れている川が雪で狭まって別の景色です。右奥が
保育園です。

鯉が沢山泳いでいる川が雪捨て場になったおかげで覆われてしまった。
鯉たちはどうしているだろうか。

橋から下流を見た景色。右が椿館

幼友達の織の服展
旧姓工藤典

さおり織という織物。色合いが一番重要なんでしょう

客が沢山いたので言葉を交わさず帰ってきました。

2013年3月3日日曜日

3月3日雛祭り、卒業式

今日は雛祭り、雛人形はないけれど蒲鉾についてきた人形で祝います。
そして少子化で学校が閉鎖されていますが、戸山高校(芙由子の母校)が
閉校になります。
こんな少子化傾向が続けば早晩人口は1億人を切り、活気のない国になってしまう。

玄関先に飾った雛人形。
仙台の姉から来た蒲鉾についてきました。

県内の3高校が閉校になります。
 

2013年3月1日金曜日

弥生、3月1日

仙台の姉からお雛様の蒲鉾が贈られてきました。
今年も弥生三月雛祭りがもうすぐです。

今年はお雛様は出さずに蒲鉾でお祝いします。

長年乗り回した8人乗りの車を廃車にしました。
お袋が亡くなってから7年たちますがその時購入した車です。

これからはコンパクトな車でやり繰りしていきます。


今日届いたお雛様蒲鉾。3日までは食べないで飾っておきます。

長年山や海に使用した車。兄弟姉妹が来た時はこの車で
色んな所に行きました。下北半島、大間のマグロ、恐山など
青森に西海岸から秋田の田沢湖を経て盛岡まで。
色々思い出があります。

記念に一枚

これからはこの車でやり繰りします。
去年は仙台、会津若松、大内宿を訪問しました。

2013年2月25日月曜日

朝と夜

今朝はまたしても零下の朝でした、夜は月夜でした。
満月が煌々と銀世界を照らしていました。

朝、向かいの今さんの家の軒に雪庇が垂れ下がって来たぞ、
もうそろそろ雪を落とさないと危ないかもしれない。

夜町会の集まりの帰りに空を見ると満月の夜空です。

病院の街灯の下の植木に積もった雪とその向こうに満月。

隣の家の上に大きな満月。
現在零下4度ぐらいかな。

2013年2月24日日曜日

小学校閉校式、友達達

今年3月31日をもって温泉町の小学校は閉じられます
今日は閉校式でした。
明治11年11月5日開校しました。
以来134年の歴史を経て2013年3月31日閉校します。

昨夜は高校の同期会でしこたま酒を飲んで市内に泊まり、今朝は
8時ごろ突然猛吹雪となり、一寸先見えぬホワイトアウト、必死で
帰ってきました。それから閉校式典に参加しました。
55年ぶりに校歌を歌いました。隣で関隆(姉の同級生)が歌っていました、
在校生31名の複式学級で子供たちはとても仲好いように見えました。

式典の前に会場を撮影。

校歌制定 昭和25年11月5日。作詞船水公明。作曲者間宮芳生。

在校生一同。31名です。



廊下に子供たちの作った短冊、有難う浅虫小学校。

子供たちが学校の思い出を発表しています。

これから毎朝通学する子供達を見れなくなってしまう。

参加者、船水不二也さん。
私の酒の師匠、16歳からずっと酒を酌み交わしている。

関酒店、隆さん。姉の同級生。いつも買っている酒は
この店からです。去年、大腸を手術して酒を止めてしまった。

麻里子の同級生古澤順子ちゃんと弟。

2013年2月23日土曜日

今朝も積もった

昨日に引き続き雪の景色です。

向かいの家の軒先に雪庇が垂れ下がってきました。

我が家の車が雪ですっぽり覆われてしまいました。

面白い顔ですね、誰に似ているのか?

向かいのおばあちゃんの家が見えにくくなりました。
下のガレージが見えません。

夕べから降り積もった雪がおばあちゃんの窓を
覆い始めました。雪を取り除かねば。。。。

2013年2月22日金曜日

通夜 47歳の別れ

17日八甲田山で元部下が亡くなった。
スキーしている途中心筋梗塞で人知れず亡くなった。
同行した人たちがパトロールに通報して捜索してもらったが
発見されたときはすでに危ない状態で、病院に運ばれたが
心肺停止であったそうな。

昨夜は通夜で故人の兄貴が話してくれた。
好きな八甲田で死んだ。本望かもしれない。

早く死んだ人は思い出が人の心に残る。

遺影は人一倍元気な姿だった。
会社のほとんどが悔みに来ていた。
47歳とは若い。